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ウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサン (2004/09/16)

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2004年 9月 16日 木曜日 晴れ

仕事の帰りに、横浜のHMVに立ち寄りました。
そこでウィリアム・クリスティ指揮、レザール・フロリサンによる、ヘンデルの合奏協奏曲のCDを購入しました。
昔のスタイルがどうこうというのではなく、とても優雅でセンスが良いんです!!!
ヘンデルの音楽の持つ力強さや生命力が、とても自然にのびのびと発揮された演奏です。何よりも響きがとても美しい!!!
フレスコ画のような透明な色彩です。響きに対する感覚の鋭い古楽の演奏家の中でも、ずば抜けたアンサンブルです。
いたずらに奇を衒った装飾音や奏法で飾り立てたりしない所が、流石です。

ホーレンシュタインが古楽器を使用してバッハのブランデンブルグ協奏曲を録音してから随分と経過しています。古楽のあり方もその間に様変わりしました。昔の楽器や奏法を再現している筈なのに、そこから出てくる音楽は今を生きている現代人の音楽であるというのは実に逆説的であります。その逆説はちょうど、ミケランジェロによるシスティーナ礼拝堂の壁画が長年の煤や埃を洗浄し終えたとき、鮮やかな色彩を目の当たりにして人々が大きく戸惑ったのとよく似ています。古楽とはあの大きな戸惑いから出発しているんです。
そしてその戸惑いに慣れて社会に受容されるということは、その社会においての立場が形成されたという事だと思うんですね。
言換えれば、古楽だと現代人が捉えている演奏が、現代という時代の意味生成の中で機能しているということです。それがどうして、昔の音楽を再現したものであるといえるのだろうか?音楽はそれが奏でられる存在である以上、時代や地域から切り離した地点には存在しないのではないか?古楽復興はただ単に学究的な好奇心によってなされたものではない。古楽復興は徹底した原典主義を主張する事で、かえって原典主義に対する痛烈なアイロニーを含んでいた。

その戸惑いに多くの人々が慣れてしまうということは、それがアイロニーに留まるがゆえに、その奏法が人々に対して衝撃を与えず、毒抜きされ、殺菌された音楽になってしまう宿命を背負っている。では、そういう状況の中からアイロニーから抜け出した音楽を模索する世代も出てくる。クリスティにしても、マンゼ にしてもゲーベルにしても、そういう宿命の中から新しい音楽を創造しようとしています。
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