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なあママさんのコンサートに行ってきました。(コルンゴルドについて) (2004/09/19)
2004年 9月 19日 日曜日 晴れ

なあママさんのコンサートに行ってきました。
喘息がとても心配だったのですが、それでも無事、本番を乗り切れた事で一安心致しました。
でも何よりも、一刻も早く、回復する事を願っております。

ところで早崎さんのコルンゴルドについての評伝を読ませて頂きましたが、本当に運が悪い人ですね・・・・・。

 コルンゴルドは調性音楽の持つ可能性を極限にまで突き詰めようとしていたという点において、実は20世紀前半という時代が求めていた音楽を具現していたのではないか?シェーンベルグの音楽も、無調だというけれど、それは西洋音楽の和声を極限にまで突き詰めるという意味において、実はより普遍的な調性を追求しようとしていた筈です。コルンゴルドとシェーンベルグは正反対のように捉えられがちですが、実は違った方向からトンネルを掘っていたのではないかと思う事があります。
どちらも20世紀の音楽のあり方を象徴した作曲家だった。
では両者の何が違うのか?

 音楽を構成する素材を脱神話化したという点において、シェーンベルグが切り開いた道は非常に革命的だった。しかし、コルンゴルドには音楽のアウラに対する信頼を生涯持ち続けていた。この点において両者は異なった道を歩んでいる。アウラを自在に操る才能に恵まれたコルンゴルドという才能を、時代が、文化産業が求めた。そしてその要請に応じて、彼は珠玉の音楽を提供していた。しかし第2次世界大戦後、音楽芸術は音楽の徹底したアウラの解体・・・というより数量化を志向した。その背景には、ナチズムとナチズムに象徴されるものが巧妙に利用した神話的なアウラを、数量化によって払拭し忘却したいという願望があったのではないのか?ブーレーズやノーノが、マルクス主義者だったという事は偶然ではないし、ウェーベルンがナチスに魅了された事は偶然ではないと思う。その時流から取り残された生きた化石であるコルンゴルドは、旧時代の廃虚を目撃したものにとって旧時代の唾棄すべき負の遺産に映ったのではなかったのか? 少なくとも、ビーダーマイヤー氏の忌まわしい亡霊に映ったのではなかったのか?そうなると「ワーナーのために作曲している」とかいって、文化産業の奴隷というポジションを与える事で黙殺するのが手っ取り早かった。

 もちろん、そんなことで切り捨てても、我々はナチズムの亡霊に今でも苦しめ続けているわけだし、いまだにセリー音楽によって作曲された大衆音楽を聴いた事が無いというのは非常に興味深い事ではあります。
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