music diary


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ピエトロ・スパダ (2005/07/12)
2005年 7月 12日 日曜日 晴れ


Busoni: Complete Bach Piano Transcriptions, Vol. 1 Busoni: Complete Bach Piano Transcriptions, Vol. 1
(2000/02/15)
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Complete Transcriptions for Piano Complete Transcriptions for Piano
(2000/02/15)
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久しぶりの更新です。
最近は暑いのでクラシック音楽を聴く気分じゃない。

それでもピアノ曲をよく聴きます。

最晩年のペーター・マークの録音を出しているArtsというレーベルから出ています。
ピエトロ・スパダというイタリアのピアニストによるブゾーニ編曲によるバッハを最近購入して聴いております。フレーズの一つ一つ、これだけ意味深く演奏したバッハにはただただ頭の下がる思いがします。

ブゾーニという人は今では作曲家として知られていますが、実は偉大なピアニストでもありました。
原典主義的に言えば、彼の手による編曲は非常にヴィルトーゾ的で大袈裟なロマン主義のお化けと酷評される。でも、私はこの編曲はバッハの真実が活きていると思う。
なぜならば楽譜を超えたところにある音楽の真実を探求しようとする超人的な意志に支えられているからだ。

シャコンヌというヴァイオリンのために作曲された音楽があります。
冒頭主題からして、ヴァイオリンという楽器の性能と楽譜が要求しているものとが、
激しくぶつかり合っている。
実際、冒頭の重音を、ずらさずに弾くために特殊な弓を発明したものさえいます。

素材とイデーとが、鬩ぎ合いや葛藤を経て、一時的な和解を遂げる・・・。
ブゾーニは、この素材とイデーとの葛藤と和解を、ピアノに編曲する事で再現する。
演奏とはただ単に楽譜に書かれた事を弾くんじゃない。
その背景にある「命」を、「葛藤」を、丸ごと掬い取ろうとする事なのだ。
そのためには、鋭い感性と知性が要求されます。

よく誤解されがちな事ですがロマン主義とは自己陶酔ではなく、実は自己の中に手懐ける事が極めて困難な優れた批評家を自らの内面に抱え込むという必然性を背負っているんです。

事実、優れたピアニストは、優れた批評家でもあった。
この批評する意識こそが、想像力に飛翔する翼を与えるんです。
今の演奏に決定的に欠落しているもの、それは想像力であり、夢を観る力なのだ。

ゲーデをはじめとする芸術家がファウスト博士に拘り続けた事は決して偶然ではない。

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「ゲーテをはじめとする芸術家がファウスト博士に拘り続けた事は決して偶然ではない」とは至言。ブゾーニはまさしくそのような(傑出した)人物。演奏家としても遺された録音で、圧倒的な地位を占める。ラフマニノフにも匹敵するその音は、貧しい音響からも心有る者の胸を抉る。更にはゴドフスキがその線上にあり、この国の見識では全く無視・抹殺される、この名匠が見たいと念じた世界、眼差しの遥か向こうにある世界を、彼奴らは理解できない。耽美と浪漫のはきちがえ…。所詮、私小説でしか自己表現できない民度には、理解の外でありましょう!
soge
2006/10/02 | URL |(trip@-)
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連射ゴメン! 「ピエトロ」繋がりで「ピエトロ・スカルピーニ」をカキコします。ARBITER131で、ベトのソナタ#32、そしてフルベン下P-協#4を!ぜひ御試聴あれ!作品111には古今名演目白押しなれど、伍して引けを取らない素晴らしさです。オススメ!
soge
2006/10/02 | URL |(trip@-)
編集







>ヴィチェイ

ヴィチェイ、少しづつ聴いております!!!
こういうヴァイオリンは実演では本当に聴くことが無くなってしまいました・・・。
ちょうどこれから先、11月の秋が深まる頃のような、
言い知れぬ静けさと寂しさをたたえた演奏ですね?
何か、すべてを悟り、遠く彼方の世界を見ているような・・・・・。

神童のその後に対して残酷であるのは世の常で、
ちゃんと正当な評価をしなければならない仕事に対しても
正当に評価しない。
彼がもう少し長生きしていたら・・・・

本当にありがとうございます!!!
この演奏は末長く、私の宝物とさせて頂きます。m(_ _)m


>ブゾーニ

ブゾーニの録音すべてが、誇張抜きで人類の至宝だと、確信してしまう
特に、バッハの平均率1巻のハ長調の前奏曲とフーガ、
そしてピアノ・ロールに遺された、ブゾーニによるシャコンヌの編曲は、
誰一人として到達出来なかった、前人未到の一つの極限だと思います。

それにしてもなんと贅沢な時代だったか!!!
ブゾーニ、ダルベール、プーニョ、ゴドフスキー、パハマン・・・・・
綺羅星のような偉大なピアニストの伝統はついに途絶えてしまったという
感慨を抱かずにはいられません・・・

>スカルピーニ

スカルピーニは、知る人ぞ知るピアニストですね?
こういう人にこそ、もっと録音を遺してもらいたかった!!!
ところがこの人、ほとんど録音を遺していないようで、
私の聴いているのは、sogeがさんが推薦なさったarbiterのcdぐらいしか
聴いたことが無いです・・・。

あの演奏は本当に素晴らしい演奏ですね?
こういう言い方は凡庸で、陳腐かもしれませんが、
曲に対する愛情で弾いている。

フルトヴェングラーとの共演もさることながら、
32番の演奏が明晰でキリリとした、
上質のドライ・ジンのような、硬派な演奏です。
ベートーヴェンの心と自然体で耳を傾けている。
あの演奏はそういう演奏だと思います。


でも、これほどの演奏がすぐに忘れ去られてしまうとは・・・・・・
世の中とは実に不可思議なところです。

フルトヴェングラーというと、主観的な演奏スタイルだから
共演しづらいんじゃないだろうかと思われがちですが、
ところが傍から見ているよりも、
共演者は非常にやりやすかったんじゃないかと思います。
例えばシュヴァルツコップとの共演(ヴォルフの歌曲集)にしても、
実に共演者を引き立てるように心を配っていて、それは見事な伴奏です。
ハンゼンの演奏も勿論素晴らしいけど、
私の好みでいえばこの演奏の方が好きです。


ざらすとろ
2006/10/10 | URL |(trip@RAa2TALo)
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>これほどの演奏がすぐに忘れ去られてしまうとは…。世の中とは実に不思議なところです。--- 本当にそうですね。

音楽が牛乳増産に採用されるこの國「らしさ」。音楽が「生きる事」に不可欠なものという認識は多くの人のものではありません。絵画が壁の空いた部分を埋め合わせるだけの飾り(アート!!!)である様に、音楽も心地よく流れて消える効果音(BGM)であり、一時の慰みでありファションである故に、刺激のあるものを追っかけて渡り歩く「愛好者」によって消費されているのみ。業界も当然迎合します。この國では「飢餓に苦しむ人に音楽は何が出来るのか」と問われて黙してしまう音楽ギョーカイ人(音楽家とも言う!!!)が少なくありません。
今宵、食するパンがない空腹下でも音楽を聴いて満たされる…、といった「愛好家」は稀な様です。ヴェチェイもスカルピーニもそんな人たちの間で語り継がれていくのでしょう。そう願いたいものです。
soge
2006/10/12 | URL |(trip@-)
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「飢餓に苦しむ人に音楽は何が出来るのか?」

とても難しく、厳しい問いですね?
私もこの問いには簡単には答えられないです。

でも現実問題として、世界の人口の圧倒的多数が飢えている状況下、
芸術に関わっているすべての人に、飢餓に苦しむ人に音楽は何が出来るのかという命題は、いつも突きつけられていると思います。

音楽よりも、きれいな飲み水や食料や治安の安定やそういったことのほうが飢えに対しては有効であることは事実なんです。
それでも確かに生きていくのに必ずしも必要でないはずの音楽を、
どうして人は求めるのか?
いつの世にもどんな悲惨な状況においても音楽は存在しています。
いつ空襲に襲われ殺されるかわからないというのに、
瓦礫の山を乗り越えて演奏会に聴きに行く人間もいる。

欲望を煽り続ける世界で、人間は果たして夢を観ることを
忘れずにいれるのだろうか?

ざらすとろ
2006/10/18 | URL |(trip@RAa2TALo)
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ユニセフ他、様々な機関が援助の手を差し伸べるというプロジェクトを展開しています。些かの胡散臭さを感じながらも、直に何かが出来るわけで無い個人は、そのような機関に援助の気持を委ねます(かなり危険だとは思いながら…)。で、飢餓や枯渇は癒されるかもしれない。それは大切な事。しかしその後、心(魂・心情・情緒)を埋め合わせるのは「物」ではないと気付くでしょう。「衣食足って…」の世界ではあるが、そこを見据えた「衣食」でなければ無意味! 「生きる」を問い掛ける命題で、私自身にも答はありませんデス! しかし、その次元に拘わっているのが「音楽(&芸術)」だと思うのです。
soge
2006/11/09 | URL |(trip@-)
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私も同感です。
人が生きるとはどういう事なのかという問題と芸術とは切っても切れない関係にあります。ただ単に余暇や娯楽というわけではないです。

もともと衣食住という人間の生存において最も基本的なインフラといえども、
生命維持という観点だけでは説明の付かない事が沢山あります。

例えば食べる事を栄養補給だとか餌だとは言わない。日本人は食事の事を「ご飯」といいます。外国人は食事の事を「パンですよ」なんて言わないと思います。
桃屋の商品には「ごはんですよ」はあっても、「パンですよ」はないです。
これは現在の日本人と米との関わりが背景にあります。

この事だけでさえ、単なるでんぷん質の補給では片付けられないものがあります。
この事をよく我々は考えてみる必要があります。

芸術は人間の生命維持において必要なものではないかも知れないけど、
人はパンのみで生きているわけではないです。
ざらすとろ
2006/11/15 | URL |(trip@RAa2TALo)
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