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ゴロヴァーノフ (2003/10/04)
2003年 10月 4日 土曜日 晴れ


 さて、まずはゴロヴァーノフから語ることにします。

 ワーグナーといい、モツレクといい、参ってしまいました。特にモツレクは聴いていて愕然としてしまいました・・・・・。ラクリモザの最期を死に絶えるような、虚無の中に引きずり込まれるようなピアニッシモで演奏しているんです。ぞっとしました、正直にいって恐ろしかった!!!
 しかし何故にこのような過剰な演奏をしなければならなかったのか?この過剰さはやはりただ事ではない。私はゴロヴァーノフに関して巷で言われているような単なるゲテモノ指揮者じゃないと演奏を聴いて直感し確信しました。やりたい放題だと人は言うかも知れないけど、彼が何故そうしなければならなかったのか?そこにはそうしなければならない必然性があってギリギリなまでの結論としてああいう演奏をしている筈です。だからその必然性を考察しない限り、ゴロヴァーノフの演奏を支えている精神的な土壌を見落してしまうのではないかと思います。
 何故ロシアのオケはあそこまで過剰なのか?強奏される金管、地を這うような深い低音、このような響きを嗜好するのには何かしら根深い理由があるのではないのか?私にはそう思えてなりません。ゴロヴァーノフにしてもムラヴィンスキーにしても、このようなドストエフスキーやトルストイを生んだ文化的背景に立脚していることを実感させられる。バクーニン、クロポトキン、レーニン、トロツキー、いずれもロシア人であるということは絶対に偶然ではあり得ない。あのゴロヴァーノフの過剰さは帝政ロシア期の精神的土壌に立脚した演奏であって、決してそれらは断じて奇をてらったものではないというのが私の考えです。
 日本の愛好家の中にはロシアのオケの過剰さを小馬鹿にした発言をする馬鹿な聴き手がいますが、彼らはこの過剰さは何処から来るのか一度でも考えたことがあるのでしょうか?こういう輩が日本をだめにするんだ!!!
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