昨日、エレーヌ・シュミットさんのリサイタルを聴きに行ってきました。
ソロでの来日は初めてなのだそうです。
バッハの無伴奏を2夜にわたって演奏するという、
演奏家にとっては、演奏家の世界観、人生観が問われてしまう
危険極まりないプログラムです。
私は第2夜しかいけなかったけど、
なかでもシャコンヌが素晴らしい演奏だった!!
残響が空間に溶け込む時の意味深さをどう喩えればいいのだろうか?
一台のヴァイオリンだというのに、様々な声部が対話をするかのように
紡ぎ出されている。あたかもバッハの家でバッハと話しているような、
そういう等身大の感覚がある。
かつての巨匠の演奏のようにバッハを神として下から仰ぎ見る感覚ではなく、
何処かの部屋でしみじみバッハの話に耳を傾けるような、そういう感じなのだ。
古楽奏法というものが何を求めようとしていたのか?
アーノンクールの音楽による対話というものがどういう事なのか?
かつてアーノルド・ドルメッチによってクラヴィコードという、
尤も音量が出せない楽器から表現しようとした事が、
このような薔薇となって咲いている!!
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